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「検事はひまわりに嘘をつく」が発売されてもう二か月が過ぎていたとか早すぎますね!
しかも現在十二月。なにがなんだか!
今年始まって間もない記憶しかないのにおかしいものです。
今回も、小ネタを用意してみたのですが、大変遅くなってしまいましたが
心機一転、ここまで来たらネタをかえよう、とクリスマスネタに走ってみたところ
うまいこと弓瀬と藤野辺がラブラブしてくれたのでよかったです。
ブログなので相変わらずエロとかはありませんが、いっちゃいっちゃいっちゃいっちゃしてるバカップルをご覧ください。
思った以上に長くなりました…
お話しは続きから
じっと、藤野辺は携帯電話に残る、ある通販事業者からの振込番号通知メールを飽きもせずに眺めていた。
朝から検事取調べが続き、馬鹿とのーたりんと考えなしとDV男の主張を丁寧に聞いてやって、一人で墓穴掘って埋まっとれ、という文句を胸に押し殺して仕事をこなし、昼は裁判一本。再び検察庁に帰ってきたものの、まだ今日中に始末をつけたい仕事は山積みだ。
にもかかわらず、藤野辺は今日、何度もこうしてメールを見返していた。
クリスマス直前限定、キャラメルとバターたっぷりサクサク焼きチョコタルト&プラリネクリーム。
とやらは、毎年事前予約の受付のみで生産する話題のケーキらしい。
予約開始五分で売り切れる、という人気ぶりから、幻のクリスマスケーキなどと呼ばれているが、藤野辺にしてみれば小麦粉とバターと砂糖とチョコレートを集めるだけ集めて、限定商法で宣伝効果を狙うとは、予約ページを見るだけでも太りそうな心地だ。
本当はそんなページ興味はなかった。
甘い物を我慢しまくって二十年近く過ごした結果、今では食べようとしてもそんなに甘いものは食べられないし、予約必須、だの限定生産、だのいって煽るような宣伝も嫌いだ。
だが、つい見てしまったのだ。
同僚検事の松原が悪い。
「お前さんのその眉間の皺を見てもなお、太陽みたいな微笑で話しかけてくれて『俺たち友達なんです』とか言ってくれるような貴重奇特な弁護士さんに、お歳暮くらい送ったらどうだ。日ごろの暴言許してね税だと思って」
などと、一度たりとも暴言を吐いた記憶などないのにそんなことを言われて、なんとなく周囲の空気も「ほんとにな」みたいな雰囲気になってしまったためうまい反論の言葉も思いつかなかったが、その際松原がくれたのが、このケーキのちらしだったのだ。
ワンホール一万円近いチョコレートの塊の写真を見ていると、もうカカオのガラでもかじってろよ、という気分になってくるが、同時に「弓瀬が喜ぶだろうな」と思ったことも事実だった。
年末年始を目前に、怒涛の審理整理を繰り返す検察官の師走はただ忙しいばかりで、正直クリスマスに浮かれる街の色彩に悪態をつくどころか、気づくことさえないほどだ。
独り身だったときでさえ、街でいちゃつくカップルも、フライドチキンを買いに行く和やか家族も、嫉妬するどころかモザイクのついた浮遊物にしか見えないほど疲れるのが毎年のこと。
一応、家族にプレゼントを送ってみたりはしているものの、じっくり吟味する余裕だってなかった。
だから、初恋が叶い、惚れた男と交際できる、などという奇跡に恵まれた今年のクリスマスも、特別心躍らせることなく、それどころか「弓瀬のためにプレゼントをえらぼう!」と思うより先に意識はもう年明けの殺人事件審理ラッシュに飛んでいた。
年の瀬はクリスマスに街が浮かれるのも事実だが、藤野辺にとっては分刻みで新しい事件が飛び込んでくる月でもあるのだから。
松原が、こんな時期に弓瀬宛ての贈り物を提案しつつも「お歳暮」などと言い出したのは、彼もまた同じ生き物だからだろう。
いや、ただたんに、彼の妻がクリスマスに友達と旅行に行くとか言い出したから現実を見つめたくないだけかもしれないが。
とにかく、そんなささいなきっかけで、クリスマスというものを意識してしまった藤野辺は、松原が教えてくれたこのケーキを弓瀬にプレゼントしてやりたくなったのだ。
実は昨日も電話で喧嘩をした。
藤野辺が一方的に罵るだけだが、原因はなんのことはない、弓瀬の甘いものの摂取のしすぎのため。
コーヒーに入れる砂糖の数は二つ減らしたし、夕食以降は甘いものを食べないようにもしてくれた。禁酒日ならぬ、禁糖日もたまにつくる弓瀬は、藤野辺の文句をいちいちよく聞いて、生活に生かしていってくれているのは確かなのだが、食べるとなるとこれが大量に食べるものだから、うっかり藤野辺も口うるさくなる。
弓瀬が優しいのは美徳だが、いつも穏やかに笑いながら対応されるとなんだか暖簾に腕押し、といった心地になり、いっそう藤野辺の口調はきつくなってしまうのだ。
ちょくちょく、言い過ぎていると思い反省している。
その都度、弓瀬は笑って許してくれるのだが、ここらで少し、弓瀬が甘いものを我慢してくれていることをいたわりたくなったのだ。
キャラメルとチョコレートがたっぷりのざくざくタルト。プラリネクリームがこってり乗っているなんて、見ただけで弓瀬がご機嫌になるのは確実だろう。
きっと喜んでくれるに違いない。
そして、また甘いコーヒーと一緒に一切れ食べ。あとは我慢して残しておくよ。と言いながら、もう一切れ食べたくなり、翌朝……。
「あかん! あかん、何度シミュレーションしてもあかん。どんな攻め方しても、タルトやった翌朝には最低でも五ミリの一切れしか残らへん!」
どん、と机をたたく音が、孤独な検事室に響いた。
弓瀬はいい男なのだが、甘いものに目がなさすぎる。そして藤野辺自身、そのことに文句を言いつつ、目を輝かせながらもう一切れ欲しがる弓瀬を止めきれないに決まっているのだ。
二十四時間以内に、カロリー表示はちょっと見返したくないケーキをほぼワンホール。
これが酒乱なら一升瓶何本分の暴挙になるだろうか。
最初はそこまで考えていなかった。予約開始五分で予約枠がなくなるようなケーキだ、きっと自分の申し込みも外れるに決まってる。と気楽に予約ボタンを押したのだ。
にもかかわらず、藤野辺の予約に帰ってきたのは、受注完了メールだった。
まったく同じ時間に予約ボタンを押した松原は、完売メールが来たというのに。
「くっ、なまじ高倍率抜けたせいで未練がすさまじい……」
この予約枠。松原に譲ろうか。いや、やっぱり最初の予定通り弓瀬にプレゼントしようか。でも、弓瀬がこれを二十四時間以内に食べつくすのは嫌だ。
弓瀬の体より先に、藤野辺の心臓がどうかするに違いないほど心配だ。
悶々と悩みながら、藤野辺は今日が期限のケーキの入金を、迷いに迷っているのだった。
もうじき受付時間が終了する。
一度クールダウンしようと、藤野辺はメールのページを閉じた。とたんに、携帯電話の待ち受け画面一杯に、黄色い花の写真が浮かんだ。
検察官なのに、待ち受け画面ひまわりなんですね。
と、見た人に何度となく言われた待ち受け画面は、弓瀬への恋慕が叶わぬ頃からのお気に入りの写真だ。
ずっと弓瀬が好きだった。
小学校の頃から、初恋のまま。
今、それが叶ってこんなに幸せなのに、自分は怒ってばかりだ。
怒るたびに、弓瀬は話を聞いてくれて、少しずつでも努力しようとしてくれているのに、どうして注文もしていないケーキの糖分にまでケチをつけようとしているのだろうか。
ひまわりの花弁が、ふっと輝きを失った。
操作しないまま時間が過ぎたので、省エネモードになったらしく待ち受け画面がぼんやりと暗くなる。
「……明るいほうがええなあ」
ぽつりとつぶやくと、藤野辺は適当に電話のボタンを押した。
すぐに明るくなった画面で、ひまわりが再び黄色く輝く。
一切れ、ケーキを弓瀬が食べている姿が見たい。
満面の笑顔で、幸せそうに食べてくれるに違いないと思うとドキドキする。
なんだったら、残りは隠してしまおうか。毎日一切れずつ、ちゃんと守るように、ケーキがなくなるまで弓瀬の家に泊まるのもいいかもしれない……。
「あ、あくまで監視のためやし……変な意味とちがうし」
ふと思いついた妙案に思わず頬を赤らめた藤野辺は、誰にともなくそんな言い訳をするとまたメールを開いた。
今度こそ、業者からのメールの番号を確認する。
やっぱり買おう。
弓瀬の笑顔が好きだから。
さっそく、決済画面を開くと同時に、デスクの電話が鳴り響く。
さっきもそうだった。きっとまた警察署からだ。強盗だ暴行だ突然の自首だと、今日も朝から新規事件が山積み。
今年のクリスマスも殺伐とした日常になるだろう。
そんな中で、恋人のクリスマスプレゼントで悩んでいたことがなんだか新鮮で、藤野辺は電話を取りながらも、つい頬が緩んでしまうのだった。
二十四日。
お互い忙しいし、人で賑わう外ではくつろげないから。と話し合い、藤野辺は仕事を終えてから弓瀬の家までやってきていた。
何か作ろうか、という藤野辺に、弓瀬は「嬉しいし食べたいけど、洗い物だなんだって藤野辺の仕事が増えるから駄目」などといって、デリカフェのサラダやサンドイッチを買ってきてくれていた。
こちらもクリスマス仕様なのか、なかなか豪勢だ。
ワインを開けて乾杯すると、本当にクリスマスイブを過ごす恋人同士という気分になってきて、恥ずかしくて落ち着かない。
「それにしてもよかったんか、弓瀬。事務所の人付き合いとかもあるやろうに、こんなさっさと帰ってきてしもて」
「いやいや、丁度よかったんだよ。うちで事務やってくれてる人、女性なんだけどシングルマザーでね。そこの幼稚園の娘さんが俺のこと気に入ってくれて、クリスマスパーティーに来てっていうんだよ。傷つけないよう断るのが一苦労でさ、お前と予定入っててよかった」
「ほう。嫉妬しようにも、幼稚園児相手やと難しいもんやな。お前がモテるのは今に始まったことやないし」
「嫉妬に狂う藤野辺か……恋人が嫉妬してくれるって、きゅんときそうだけど、お前の場合少し怖いから、夢に留めておこうかな」
「そうしてくれんか。年末で気ぃ立ってるし、嫉妬とか本気で抱いたら、うっかり今日十件ほど聞いた犯罪自慢ナンバーワン決定戦とかやってみたくなるしな」
「法曹界の歴史に名を刻めそうだな……悪い意味で」
最近は、事務所方針を決める会議や、今後の弁護士同士の連携について弓瀬は調整していたらしく、受け持った仕事の数はあまりないようだ。ほとんど刑事事件専門状態の藤野辺には、企業や雇用関係の民事訴訟や和解の仕事をこなす弓瀬の話は、同業者とはいえいつ聞いても新鮮だった。
ピクルスを齧り、分厚いロースハムのサンドイッチをほおばり、チーズにハチミツをかける。ワインがひたすら進み、気分がいい。
いつ、プレゼントを渡そうか。
そう思うだけで、いつもと同じ食事の時間が、特別な時間に思えてくるのだから不思議だ。
あれから決心して決済を終えてからは、藤野辺はケーキのことなど思いだしもせず仕事に没頭した。せっかく弓瀬と約束した日に、残業で終電を逃すなんて御免だったから。
おかげで今日の朝、検事室に届いたケーキの箱を見たときは、まるで自分に届いたプレゼントのようにワクワクしたものだ。
自宅受け取りでは、冷蔵配送物を預かれないので仕方なく検事室に届けさせたが、ケーキの箱が入った包みは地味で助かった。
早く弓瀬にこれを渡したい。その一心で今日も仕事に奔走したのに、こうして会ってみると、すぐに渡してしまうのももったいない。
悶々として、どこか気恥ずかしい心地を、ワインと一緒に飲み込む。
あらかた食べるものも食べて、あとはつまみのピスタチオだけになったところで、そわそわしてきた。そろそろいいタイミングかもしれない。
コーヒーから誘おうか。それとも早速渡してしまう?
乙女のように悩む藤野辺の傍らで、弓瀬が「ところでさ」と言ってワイングラスをテーブルに置いた。
「好きな奴とクリスマスイブ過ごせるって、なんかわくわくしちゃって、プレゼント用意しちゃったんだ」
「へ?」
あれ、その話俺の話……と言いかけた藤野辺の目の前に、弓瀬が小さな袋を掲げて見せた。
促されるままに中を覗くと、ブランドロゴのはいった小包が一つ。
「な、なんやのんこれ……」
「あけてみて、あけてみて」
嬉しげにせっつかれ、藤野辺は照れくささのあまり、どう喜んでいいのかもわからないまま包みをほどいた。証拠品を包んだふろしきを開くのとはわけが違う。
中身は不明で、けれども、好きな男が用意してくれた、藤野辺のためのものであることは間違いがない。
包みの中から出てきたのは、有名な万年筆会社のカードと、ボールペンだった。
シェル素材のような透明感のある薄いグレーのそれは、手に持つとずしりとして、自分が持っていいのか不安になるほど品がある。
「いや、どないしょ。な、なんなん弓瀬。これどないしたらええんっ」
いかにも高価そうなものを贈られて、藤野辺は喜びよりも申し訳なさが先だって、プレゼントの箱を取り落としそうになる。
「どないって、使ってくれたら嬉しいんだけど。二人で過ごす初めてのクリスマスに、なんの相談もなしに高いもの送ったって気を使わせるだけってわかってるから、見た目ほど高くないぞ。安心しろ」
藤野辺の狼狽など先刻承知だといわんばかりに、弓瀬はにやりと笑うと藤野辺の眉間を指でつついた。
触れられてはじめて、藤野辺はせっかくプレゼントをもらったのに、眉間に皺が寄っていたことに気づく。
「そ、そうなん? ほんまか? 嘘ついとらん?」
「ついてないついてない。なんなら、そのメーカーのホームページで値段調べてくれてもいいぞ?」
軽やかに言い放つ弓瀬の笑顔が優しくて、藤野辺は指先の震えを隠すようにしてボールペンを箱ごと握った。
嬉しい。やったあとか、嬉しい! と、大声で素直に伝えられない自分の不器用さが憎いほど。
「そ、そんな調べごとするほど無粋やないで。……ありがとうな」
最後の最後は、結局首まで赤くしてそっぽをむくしかできなかった藤野辺を、弓瀬もはにかんだような顔をして見守ってくれた。
こうやって、いつも弓瀬の優しさに甘えている。
わかってくれるし「藤野辺はこういう奴だから」と受け入れてくれるから、何度自分の不器用さは救われてきたことか。
「お前、俺のボールペンずっと使ってくれてて、今にも壊れそうだったからさ」
「そういえばそうやなあ。あれでも、一回革がはがれてもうて、自分ではりなおしてんで。でも、これがあったら、古いほうは大事に飾っておけるわ」
飾ると言った藤野辺に、弓瀬はまた気恥ずかしそうに笑みを深めたが、それに気づかず、藤野辺もソファー脇に隠しておいた紙袋を取り出した。
二人して、相手を喜ばせたくて悶々とプレゼントを考えて用意していたなんて、少しおかしな心地だ。
今までの感謝の気持ちも含めて、藤野辺は弓瀬に紙袋から取り出した箱を差し出した。
保冷剤がぴったりはりついた箱は微かに霜がかり、冷気を放っている。
「実は、俺もプレゼント持ってきとってん。お前みたいにお洒落でも実用あるもんであらへんけど。なんちゅうかその……お前に、食わせたいもんあったから」
いつものように、取り澄ましたことを言って本音を隠すことは簡単だった。
けれども、今言わねばならないことがある気がして、藤野辺はらしくもなく素直な言葉を口にする。
そのことに弓瀬もわずかに目を瞠るが、すぐに緊張した面持ちで箱を受け取ってくれた。
藤野辺が弓瀬からのプレゼントを恐る恐る開いたように、弓瀬もまた慎重な手つきで箱を開ける。
黒い箱から、じりじりと姿を現すケーキは、チラシにあった写真に負けていない。
冷気とともに露わになったワンホールの姿はこってりと黒く。チョコレートとキャラメルの香りがふわりとあたりに立ち込める。
ぽってり、ケーキの上で渦をまくプラリネクリームは、さっそく指ですくいとって舐めてしまいたいほど淡い丸みで人の食欲を煽るようだ。
「すごい。これ、もしかして人気店のクリスマス限定ケーキ!?」
「五分で予約完了するくせに、俺の申し込み通ってしもたんや。これはもう弓瀬に食わせたれっちゅうことやろうと思ってな。その……」
「藤野辺……」
「そんな目潤ませて感動せんでも。いや、とにかくその……これ食べて、また砂糖節制頑張るんやで!」
「らじゃー! いやあ、嬉しいなあ。食べたいけどもったいないくらい嬉しいなあ」
藤野辺と違って、素直に嬉しい嬉しいと喜ぶ弓瀬は、どこから見てもそう変わらないだろうに、前から後ろから、角度をかえて飽きもせずケーキを眺めた。携帯を取り出して、写真も五枚は撮った。
食べたらきっと笑顔になるだろうと思っていたが、もう笑顔だ。
はしゃぐ弓瀬の姿に、藤野辺まで嬉しくなってくる。
「あ、藤野辺。お前のそのボールペンも一緒に写真撮ろう」
「女子高生かお前は。ほんまアホ……っちゅうか、買ってよかったわ。弓瀬、写真撮ったら、ちゃんとケーキ食べてや」
「わかってるわかってる。食べるなって言われても食べちゃう」
「こら」
ひとしきり笑いあい、写真を撮ったり、藤野辺もボールペンをいじくったりしているうちに、弓瀬がふいに立ち上がろうとした。
コーヒー淹れよう。そう言われるとなんだかおしくて、つい藤野辺はいつもなら言わないことを言ってしまう。
「ええやん。せっかくのワンホールや、そのまま食べたらどないや?」
「え、いいのか?」
そんなこと言われたら、フォークも使わず頬張るぞ。と言いたげに弓瀬が食いついてくる。
だが今日は特別だ。弓瀬が喜ぶなら、なんでもいいような気がしてくる。
藤野辺の苦笑に、弓瀬も通じるものがあったのか、照れたように笑うと一応フォークは手にとった。
銀色の先が、さっそく「ざくり」と音を立ててタルト生地に包まれたチョコレートケーキに刺さる。
「いい音だ」
「耳が太りそうな音やな」
「またそれか」
けたけたと笑いながら、弓瀬の持つフォークが、ついに一口分のケーキをすくいあげた。
ぱらぱらと台座のタルトが崩れ、チョコレートの塊のような濃い色の断面に、どろりとプラリネクリームが垂れる。
さしもの藤野辺も、喉がなる光景だった。
甘い香りがあたりに漂い、それだけで弓瀬の頬が緩んでいる。
黒くて甘ったるい塊が、小さな銀のフォークに乗って、弓瀬の口へと消えていく……。
と、せっかく楽しみにしていたこの瞬間に、藤野辺の神経に触る音が響いた。携帯電話の、メールの着信音だ。ささやかな音に、どうしてか妙な胸騒ぎを覚えて藤野辺は電話を手に取った。
「おおおおっ……甘い!」
嬉しげな弓瀬の声が気になるのに、せっかくの食べた瞬間の顔が見れなかった。
それだけでも幸先が悪いのに、この気分はなんだ。まさか、職場で問題でもあって、すぐに戻らねばならないのでは……。
むっと眉を顰めてメールを開いた藤野辺の目に飛び込んできたのは、意外な文言だった。
――期限までの決済を確認できませんでした。誠に申し訳ありませんが、ご注文はキャンセルさせていただきます。
何が……? と、携帯電話相手に首をかしげて差出人を確認すると、なんのことはない、今まさに弓瀬が二口目を頬張っているケーキの販売事業者だ。
しばし悩み、藤野辺はケーキの箱を手にとった。
確かに、検察庁宛てであることと、藤野辺の検事室番号が宛先になっているから間違いではない。
「藤野辺、どうかしたか?」
「いや、なんや決済確認でけへんかったとかなんとか」
「?」
説明もあやふやに、藤野辺はとにもかくにも自分の口座の確認に走った。携帯電話で確認できるようにしているのだが、このあたりの操作は頻繁ではないので苦手だ。
ようやく入出金明細のページを確認し、気づく。
「……ほんまや、決済失敗しとる」
何が悪かったのか今見ることのできる一覧ではわからないが、決済は手続き途中で止まったまま、藤野辺の口座の履歴に、ケーキの代金を払った名残はない。
ざくり、と弓瀬がタルトを噛む音がやけに大きく響いた。
「……」
検察庁の、藤野辺の部屋番号。
何も、藤野辺が一人だけいるわけではない。
その事実に気づきかけて、藤野辺は生唾を飲み込んだ。
「なあ弓瀬、世の中には開けたらあかん扉があると思わんか……」
「へ? 何?」
さっぱり何がなんだかわからないという顔をしてケーキをもう一口食べる弓瀬の幸せそうな顔が……予定に反して今は憎い。
そして、開きたくない扉は、向こうから開け放たれた。
手にしたままの携帯電話が急に振動をはじめ、けたたましい呼び出し音を鳴り響かせる。
さすがに驚き、弓瀬がフォークを持つ手を止めた。
「大丈夫か藤野辺、まさか呼び出しか?」
「……」
待ち受け画面に大きく示された「三枝」の文字。
見ていられず目を逸らすと、今度は「お前の一口ってどんだけでかいんじゃドアホ」と、さきほどまでの甘い恋人心地も忘れたくなるほど欠けたケーキが見える。
「……弓瀬、旨いか?」
「あ、ああ。旨すぎて怖いくらいなんだけど、ええと……藤野辺?」
「……そのケーキ、実は盗品やねん」
それ以外言いようがなくつぶやいた藤野辺の目の前で、ひまわりの花は驚愕に花びらを散らしていくのだった。
「未決済連絡くらいもっとはよくれや、ほんま、マジで」
そう唸る藤野辺の脳裏に、今日十件ほど聞いた犯罪自慢が羅列されたとかされなかったとか。
初恋の君との初クリスマスイブの夜は、罪深いチョコレートの香りと、我が優秀なる事務官殿からの着信音が響き続ける中、更けていくのだった。
翌日:検察庁にて。
三枝「何も言わなかった私も悪かったですし、三枝宛て、ってちゃんと書かなかった私も悪いですし、何やってるんですかいい年した大の大人の男がクリスマス限定ケーキの予約ボタンに必死になるなんて、って言ってたくせにこっそり注文してた私も悪かったと思ってますけど、いくらなんでも酷いですよ藤野辺さん」
藤野辺「殊勝げな顔して、なんで俺の席に座ってはりますのん……」
三枝「座り心地いいんで。あ、藤野辺検事、喉が渇きました」
藤野辺「……玉露いれてきますわ」
三枝「今度弓瀬さんにもお茶入れてもらいたいものですね」
藤野辺「打診してもええですけど……あいつに人間が飲めるもの淹れられるか、俺知りませんよ?」
三割増しの笑顔は怒りの証拠。ご機嫌取りにいそしむ藤野辺がいつまで大人しくしているか、検察庁では密かに噂されていたものの、幸い茶運び検事生活は三日ともたなかった。
申し訳なさそうにやってきた弓瀬が、三枝に茶を淹れたせいだと言うものもいるが、真実はその日、弓瀬を来客に迎えた数分後に、トイレに二時間ほど閉じこもっていた三枝と藤野辺しか知らないのであった。
弓瀬「おかしいな、お茶っ葉にお湯注いだだけのはずなのに……」
終
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